神輿解説 第十四回 大阪府大阪市住吉区 住吉大社 (大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89)
令和元年(2019)6月 記
昭和50年代になると京都などでは肩で舁く神輿渡御が多くの神社で復活していった。その大半は江戸時代の金銅装神輿で「流石京都」と唸らせる品が蔵より堰を切るように町中に出御して来た。思い起こせばその頃の京都市中は町屋が多く残り、町屋の建物の軒を掠めそうに神輿が通過するのが楽しみだった。何せ京都は都大路で神輿が大きいのが特長である。神輿が脇を渡御する迫力は、あの町屋があったからこそ味わえたと思う。神輿の屋蓋と町屋の瓦屋根が妙にマッチしていて、京都の神輿を拝見するのが最高の喜びであった。
京都や滋賀県には身震いするような神輿が多く、その神輿は御所出入りの職人集団が関係していた。その集団の頂点は京都の中井家で畿内と近江の大工頭である。現在この地区にある国宝・重要文化財の建物の大半はこの集団の宮大工が造立したものである。この組織には建造物以外の厨子・須弥壇・仏像などを手掛けた組織もあった。この組織が大仏師である。神輿は大仏師に手掛けられたので心柱(真柱)がない神輿が多い。厨子には心柱はなく四本の隅柱のみで支える構造で内陣も設えている。御所で造立された神輿で内陣が御殿内部の上段の間と同様な造作されたものもあると聞く。見えない部分に何故と思われるが、神輿は内陣に神様がおられるところだけに最高の飾り立てをされた。これだけの神輿は当然外観も眩いばかりの金銅装神輿である。余談であるが宮大工が広めた関東神輿は心柱が露盤より基台につきぬけるが、五重塔などの建造物が基礎にあるためである。
前置きが長くなってしまったが、摂津第一の大社住吉大社も畿内に入る。この大社の神輿は多くの書に出て来た。その昔は「南祭と北祭」があったとか、「住吉の五百貫の名物神輿」があったとかなどを知るたびにこの目で観てみたかったと心より思う。
そんな折、平成17(2005)年神輿が新造され45年振りの肩で舁く神輿渡御の復活の情報が入った。翌年大和川での大阪側から堺側への神輿受け渡しも復活された。あの有名な反り橋を肩で舁き渡り、堺の宿院頓宮(御旅所)へ赴くのである。これが元の南祭である。掛け声は「べぇら」「べぇらじゃ」というが、住吉大社のパンフレットによれば「千歳楽(せんざいらく)」「萬歳楽(まんざいらく)」「平楽じゃ」「平楽じゃ」と言っていたものが訛ったもので住吉大神礼讃の言葉であるという。こうした掛け声も舁かなければ忘れてしまい流行の掛け声に代わってしまった土地も多い。
何度か祭りを拝見した際、住吉大社境内の一角に大きな神輿が台車上に乗っていた。これが住吉の五百貫と呼ばれた名物神輿なのか?と思ったが、まさかこの神輿がのちに修復され舁かれるとは想像もしなかった。それほど痛みのひどいものであった。
上記の神輿修繕こそが住吉祭りの真の復活と地元では考えられていたようだ。
平成25(2013)年春より調査が始まった。神輿修繕には富山県南砺市井波の南部白雲木彫刻工房(以下白雲工房に略)に話があった。白雲工房は国指定伝統工芸「井波彫刻」を生業として職人の仕事をしてきた。そして職人とは芸術家と違い「依頼された事を先人から受け継いだ技と心、そして自分の知恵と技術で応える」という姿勢で臨むという。
井波は浄土真宗の井波別院瑞泉寺の門前町で火災焼失した瑞泉寺の再建のため、京都より招聘された彫刻師の技術を習得し進化させた「井波彫刻」が伝承され、古い街並が迎えてくれる日本一の木彫り文化が此処かしこに垣間見ることができる素晴らしい町で、現在でも200名ほどの彫刻師が住居しているという。
このような土地で切磋琢磨して磨いてきた技量が三代目南部白雲を大きくしたと思える。南部さんはいつも「直せない物はない」と仰る。確かに風雨さらされた木鼻などの再生は大変である。
住吉大社神輿修復でも最初に①復元的修繕(造立された当時に復元、新材を使わずに元の部材を使用――文化財的価値が高い) ②現代技術を取り入れた改善的修繕(安全性や見栄えを考え痛みのひどい部材を取りかえて現状以上に質を高める――神輿本来の舁きに堪えるものに修復) 以上2点の提案で②案が住吉大社側より了承され修繕が進められた。
轅の付け方は平成17年の新造神輿よりの京都八坂神社と同じ方法で舁き方も同じである。平成26(2014)年から28(2016)年にかけて修繕された。
神輿修繕は多種の職種の協力がなければ出来ない。南部さんには伝統職人のチームワークがある。住吉大社神輿修繕に、南部さんは総監修と彫刻を担当した。その他に富山県南砺市、高岡市、京都市の職人集団が協力し技術の結集で完了したのである。
明治14(1881)年7月製のこの神輿の錺金具も京都の錺師が製作した。修繕に際し流石京都の餝師とおもわせる質の高い箇所が多くあったという。錺金具は総包みしており、大鳥は一枚板から立体に加工してある。こうした質の高い神輿の修繕は手間がかかるし、俗にいう手を抜けない仕事となる。最近よく耳にする噂に、修繕すればまだ舁ける神輿も修繕は無理と言い新造を進める安易な方法を選ぶ店が横行しているという。その神輿がその土地でどのような文化を育んできたのかも考えずに話を進める。造立する神輿が旧神輿通りに製作されるのならまだ納得できるが、結果は全く異なるのが現状である。旧神輿は技量優れているものが多いので新神輿が旧神輿を超えるものはない。
口で簡単に「修理」というが新造以上に困難が伴う。修繕はまた一部元の部材を生かす時、時代によって素材の変化があって大変という。漆塗は何度も塗り直しをして仕上げる。
住吉大社の神輿は関西の神輿同様に心棒はなく、上段玉座を持っているという。白雲工房はこうした関西神輿も心棒入りの関東神輿のどちらもこなせる職人である。
そして住吉大社神輿も100年も200年も先にも使える神輿になったと思える。その上今後修営の際の参考となるように神輿図面も納められたという。
平成17年復活新造神輿は
住吉大社前で差し上げられた。
平成17年に復活した新造神輿。
舁かれて住吉大社名物の反り橋を渡る神輿。
修繕前の旧神輿。
修繕後の神輿。
下長押の兎の極彩色彫刻。目に注目されたい。
これが関西の神輿の特長。
隅瓔珞も羅網瓔珞。
↓ ちょっとわかり辛いかもしれませんが
下長押の兎の極彩色彫刻の部分です
修繕後の神輿
紀州往還を頓宮へ向かう神輿。轅には舵紐(かじひも)が付き一直線に御旅所に向かう。舵紐は相模の神輿にもついているが、関西神輿に類似しているのが多く残る。
関西神輿の前方は駕輿丁以外は入れない。後方は国宝の住吉造り本殿。